2013年10月23日水曜日

大阪の水辺を世界に誇れる景色に 出﨑栄三さん

まもなく閉幕する水都大阪フェス2013。
  そのフィナーレを飾るのは26日の大阪水辺バルです。


 今年で3年目を迎える大阪水辺バル。
6つのエリアと8つの船着き場を船でめぐり、美味しいメニューや水辺のプログラムをハシゴして水辺のまちを楽しむプログラムです。
この6つのエリアのうちのひとつ、北浜・淀屋橋エリアのお店のとりまとめを担当されている出﨑栄三さんからお話を伺いました。




出﨑 栄三さん





出﨑さんが営まれる仕立て屋“シュール・ムジュール デサキ”は土佐堀川沿いのビルの3階にあり、大きな窓辺から川と中之島のバラ園が臨めます
開け放たれた窓から心地よい川風が感じられます。









昨年の水都大阪フェスではラバー・ダックが目前にあったそうです!







バラ園より





出﨑さんのお店を訪ねて驚いたのは、骨董屋さんと見まごうほどのアンティークの数々でした。
書画、陶磁器、漆器、箪笥のほか、タイプライターやミシン、アイロン、竹製の木枠におさまった行火、木製のスキーセット、サモワール……









「これは昔ここにあった料理旅館にあったものや私の祖母たちが使っていたものなんですよ」









そして一枚の大きなパネルを手にされました。
モノクロームやセピア色の写真は明治・大正期の北浜と土佐堀川の風景です。
高いビルはなく、現代よりも川が広く大きく見えます。




その中の一枚では、小舟が建物に横づけされていました。(上段右)
「川から小舟で乗り付けて陸にあがったんですよ」

料理旅館の模型



それは在りし日の料理旅館の写真でした。
そのころは大阪の河川での水上交通が盛んで、小舟がタクシーのような役割をしていたそうです。
川と船が日常にあった時代がそこにありました。










出﨑家の大阪での歴史はお祖父様の代にさかのぼります。
明治27年、現在の広島県福山市から10歳の時大阪に出てきた出﨑さんのお祖父様は、厚司(あつし)販売店で丁稚奉公をはじめました。
長じて才覚を認められるとご主人からお店を譲り受け、船場で羅紗と紳士服既製服製造卸の大きな店に成長させていきました。お店は息子(出﨑さんのお父様にあたる)が継ぎ、出﨑さんもまた、同じ紳士服の道に入ったのでした。

お祖父様、お父様、出崎さんが生きてきた時代。それは紳士服業界にとっても激動の時代でした。戦前から戦後、高度成長期、オイルショック、そしてバブル期から阪神大震災をはさんで、長いデフレの時代…… よい時代もあれば、困難で苦渋の決断を迫られた時代もありました。出崎さんもまたおひとりでオーダーメードの店をされるまでに「大変なことが何度もあった」そうです。



難波橋から中之島公園を望む


出﨑さんが天満橋から今の場所にお店を移されたのは今から十年ほど前でした。
当時の北浜は1995年の阪神大震災で三越が閉店し、1997年に大阪証券取引所がコンピュータ取引に移行し立会場で独特の手フリを行うで取引をする場立ちがなくなるとともに、街から熱気がなくなり、ビルのオーナーや飲食店は危機感をつのらせていきました。

当時の水辺の風景もまたさびしいものでした。ビルの玄関は道路に面してのもので、ひとの行き来のない水辺に背を向けるようにビルは建てられていました。

だが、大阪の川は「水の道」である。
道にテラスがあるように水辺にもテラスが出せないか?
絶対気持ちがいい!

水辺の風景をもう一度。
町の人びとにその思いがふくらんでいき、川沿いのビルオーナーやNPO団体などが集結していきました。出﨑さんもその一員となりました。

2008年に「北浜テラス実行委員会」をビルオーナー、テナント、町会、NPO団体で結成し、水都大阪2009実行委員会とともにまず3店舗で、川床となるテラス席を設ける社会実験を行ないました。
そして水都大阪2009のプログラム・大阪川床「北浜テラス」では一ヶ月ほどの間に2000人以上の人びとが訪れたのです。
その成功から2009年には「北浜水辺協議会」が結成されました。
河川敷の包括的占用者の許可を受けると、常設の川床が設置されるようになりました。
2013年現在、店舗は8店まで増え、4月から12月までの冬期をのぞいた期間、テラスでの営業を行なわれています。(テラス営業を通年行なっている店舗もあります)

人びとの水辺への熱意と努力で実現した「北浜テラス」
「大阪水辺バル」には「北浜テラス」の店舗も参加しています。

土佐堀川沿い


「大阪水辺バル」の魅力を出﨑さんに伺うと、“なんといっても、水辺を船でめぐること”
最近、全国各地でさまざまな趣向を凝らしたバルが実施されていますが、大都市で水辺を楽しむバルは他ではなかなかありません。
でも、水辺だけでなく、まちなかで参加しているお店にも注目してほしい、と出さんは語られます。なんといっても、地域あってのバルなのですから。ぜひ水辺のまちあるきを楽しんでください。





大阪の水辺の今後については
「現在北浜から生野区までつながっている水上の交通網をさらに整備し、水上マーケットやヨーロッパの運河にある水上生活船が行きかうような水辺の活性化をもっとすすめたい
と夢の広がる思いをお話くださいました。


そして現在進行中なのは、遊歩道計画です。
葭屋橋からライオン橋の愛称で知られる難波橋までの遊歩道をつくり、最終的に淀屋橋までつなげます。人びとがテラスから降りられる仕組みをつくり、そして小型船のための水上交通の実験を行なう予定です。
「大阪の中心部に運河をはりめぐらされ、大大阪と呼ばれた頃の水辺の賑わいを取り戻したい。そのために、思いを言い続け、夢を語っていくことが大切だ」



                     土佐堀川と中秋の名月


出﨑さんがこれほど情熱的に水辺の活性化に関わっていらっしゃる理由はどこにあるのでしょうか?
それは「大阪のまちへの恩返し」なのです。
10歳の子どもだったお祖父様を預かって育ててくれた大阪への恩。
ここで成長した祖父のおかげで三代続いて紳士服の仕事ができた。言わば出崎さんは大阪のまちに育てられたのです。
「情け深い大阪のまちが元気をなくしているのがくやしい。だからこそ水辺を活性化して、世界に誇れる景色をつくりたい。」




お話を終えた出﨑さんは、お祖父様の使っておられたソロバンを手にとり、やさしい眼差しで懐かしげに見つめていらっしゃいました。
「商家のソロバンは底に板が貼ってあって、他者に勘定が見えないようになっていたのですよ。でも、こどものころはこれを滑らしてよく遊んだな。」

大阪のまちに生きていたお祖父様お祖母様、そして船場のもっとも北の浜にあった料理旅館の姿が目に浮かびます。その風景は、思い出としてだけではなく、出﨑さんの中に確かに生きているのです。

また水辺に船が戻る時が必ずくる。出﨑さんの視線の先にそれを感じました。
 




                          


                        



「大阪水辺バル2013
出﨑さんのおすすめポイントは「水辺バル全体を船でぐるっと回れること」

水辺バルの6エリアは、
天満橋エリア(八軒家浜船着場)、
北浜・淀屋橋エリア(淀屋橋港)、
東横堀エリア(本町橋船着場/降船のみ)
中之島GATE(大阪市中央卸売市場前港・中之島GATE特設船着場)
道頓堀エリア(日本橋船着場)
大正エリア(三軒家特設船着場・大阪ドーム岩崎港)

26日、6エリアに船がめぐり、各エリアで約100のおもてなしを用意してお待ちしています!




パドルボート




中之島GATEでは、「中之島GATE FM OSAKA FOOD MAGIC(フード・マジック)」が開催、バルだけでなく鮮魚の即売やウォータースポーツなどのプログラムも楽しめます。


中之島GATE

また東横堀エリアでは、東横堀川べりの公園に『出張バル』の屋台村ができ、平野町のイタリアン、バッカーノをはじめ多くの店が出店します。屋台の賑わいをお楽しみに!



東横堀川の風景




取材・写真:まーしゃ








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